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かわいいJody  Claude Jarman, Jr.

木曜日、帰宅するとポストの中にエアメールの封筒が…。
中を開くと、そこには、Claude Jarman, Jr.(1934~) からのサイン入り写真が3枚入っていました。

a0002405_9585013.jpgClaude Jarman, Jr. 彼のデビュー作は私の永遠の憧れの男性 Gregory Peck(1916~2003) 、Jane Wyman(1917~2007) と親子の役で共演した、「仔鹿物語 The Yearling 」(1946米) が印象的でした。
その彼が今も元気でご健在…
といってもまだ76歳ですから、私の父と同世代。
嬉しさのあまり昨年5月、「仔鹿物語」 を初めて観たときの感動をそのまま手紙に認め、お送りしました。
デビューして、何作か映画に出演しています。
現在DVDで観られるのは、ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン(1907~79) 主演の 「リオ・グランデの砦」(1951米) 、ランドルフ・スコット(1898~1987)主演の 「ネバタ決死隊」(1952米)、そして、 「ザッツ・エンターテイメント」(1974米) の中の、MGMのパーティーで食事をしているお抱えスター達の1人としてちらりと映る、その3本でしょうか。
その後、映画界を後にし、故郷のテネシー州ナッシュビルに戻り大学へ、3年の兵役生活も経験し、ハリウッドに帰ってきたのは59年でしたが、プロデューサーや監督業など、裏方で活躍をしたそうです。

a0002405_9595450.jpg3回の結婚で7人のお子様がいらっしゃるとのこと!
あのあどけない少年Jodyに7人も…。
そうか、父と同世代ですものね、それにしてもギャップがあり過ぎます、12歳から70歳代へいきなり飛びましたから!!
ネットで、2009年75歳の頃のジャーマンさんを見ることが出来ます。2番目の結婚時生まれた娘のヴァネッサさんや現在の奥さまもご一緒です。

小さな12歳のJodyが、今はPeckさんと同じ190センチを越す立派な男性に…。でも、彼の瞳は12歳の頃と変わらず、優しく輝いていました。
いつまでも、いつまでもお元気でいて下さいね。
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by suama | 2011-01-22 22:57 | 映画俳優

ちは~  御用聞き

鎌倉で暮らしていた頃の思い出の中で、特に忘れられないのは、"御用聞き" の存在。

池部良、久慈あさみ(1922~96) 主演の 「恋人」(1951 新東宝) の冒頭で、伊藤雄之助(1919~80) が洗濯屋(今のクリーニング屋) として勝手口に登場するシーンや、
アニメ「サザエさん」の "三河屋の さぶちゃん こと三郎さん" などを観ていると、
思い出の "御用聞き" の姿が蘇ります。
(初代配達青年だった "三平さん" は1985(昭和60)年3月31日の放送で、結婚のため実家のある故郷山形へ帰って行きましたね。)

我が家では、お米屋と "三河屋" ではなく "きのくにや"さん を利用していました。
もうひとつ、"御用聞き" ではないけれど、雪のマークの牛乳屋さんも毎日1ℓのパックを2本配達してくれました。

私の住む敷地には、母方の両親と兄弟家族2軒、そして我が家の全4軒、多い時で15人が一緒に暮らしていましたから、"御用聞き" 利用度は頻繁!
我が家では、お米や、お正月用ののし餅、醤油などの調味料を主に注文していましたが、来客も多く、総勢7~8人いる私たち孫が毎日出入りしている祖父母の家では、その為のジュースやビールなどの準備も "御用聞き" を頼りにしていました。

a0002405_1048327.jpg"お米屋さんと言ったら!" ケースで注文する "三ツ矢サイダー" と 武田の"プラッシーPLUSSY" (ビタミンC がプラスされているのでこの名前になった事を今回初めて知りました) 。
重いビン入りのジュースで、シュポッと栓を抜いて、冷えたところをゴクゴク とみんな祖父母宅の冷蔵庫から出しては飲んでいました。
私は炭酸が苦手だったので、もっぱら "プラッシー" 党!! 
わずかに果肉が入っていて…今では100%ジュースしか飲まない私も、当時のオレンジ味の "プラッシー" だけは、子供時代の夏の思い出として、いつまでも懐かしく心に残っています。

サザエさんのお宅には勝手口がありますが、我が家はダイレクトに正面玄関をガラリッ…
しかも、今のような頑丈な扉ではなく、まさにガラガラ、「こんちは~」 のガラスの引き戸の時代でした。突然、玄関が開くのですから、ビックリすることもたびたび。
当時はこれが普通の光景だったのでしょう。今では有り得ないかもしれません。

いつも利用していたお米屋さんも、時代と共に需要が減り、10数年前から米屋+クリーニング窓口をするようになっていました。変わり行く街のそんな姿を見たとき、ちょっと淋しさを覚えたものでした。

今も、"御用聞き" をしている街はあるのかしら?
"プラッシー" の味と共に、"御用聞き" が街と人々を繋いでいた懐かしい風景をいつまでも忘れません。
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by suama | 2011-01-19 11:02 | ノスタルジック

私を当ててね!  What's My Line

You Tubeで世界中の人が楽しんでいる、アメリカの長寿番組 "What's My Line"。
日本でも偶然見つけて私の様に大興奮して観ている人も多いはず!

a0002405_15345968.jpg"What's My Line" 
1950年CBSTVで始まり、75年まで続いたクイズ番組。
各界の著名人をゲストに招き、パネラーが名前や職業を当てるというもの。
映画界など、よく知られているゲストなどはパネラーが目隠しをし(写真参照)、顔を見ただけではわからないゲストの時は、ダイレクトに質問をぶつける。

まず、司会者が Mystery Challengers と呼ぶゲストを観客と視聴者に向け紹介。
そして、ゲストが登場し黒板にサインをすると、観客はそれに歓声で応えるのです。
この声で、パネラーはどんなゲストが紹介されたのか、最初のヒントに!
その後は、簡単な質問に Yes or No で応えていくのですが、この時のゲストが笑えます。
これはぜひ、番組を観て確認していただきたい!! 

a0002405_15292821.jpgパネラーは初期のメンバーが写真の方たち。
左から、女優の Arlene Francis(1907~2001)、ドリス・デイ、ジェームス・ガーナー主演 「スリルのすべて」(63米) で高齢出産するフローリー夫人役で観た事があります。
その隣、ユーモア作家であり、出版社の社長でもあった Bennett Cerf(1898~1971)、
彼の最初の夫人は女優 シルビア・シドニー(1910~99) でした。
そして、ジャーナリストの Dorothy Kilgallen(1913~65)、彼女はジョン・F・ケネディ暗殺にまつわる事件の犠牲者ではないか?とされている様で、65年11月8日、この番組の撮影後、自宅で酒とバルビツール(睡眠薬)摂取により亡くなっています。謎の多い死との事です。
番組の初代司会者の、John Charles Daly(1914~91)、彼は50年~67年の長きにわたり、この番組を支えてきました。

私お勧めのゲストを一部紹介。
☆映画界より~ヒッチコックデビー・レイノルズ(複数あり)、ポール・ニューマン夫妻ドリス・デイ(複数あり)、モンゴメリー・クリフトゲイリー・クーパーエヴァ・マリー・セイントジュリー・アンドリュースグロリア・スワンソン(複数あり)、ダニー・ケイ(複数あり)、ドナルド・ダック!? ボビー・ダーリンスティーブ・マックイーンなどなど。
☆文化人より~サルバドール・ダリチキンのおじさん!? ディズニー、そして、若き日の小澤 征爾…
まだまだ、沢山のお勧めゲストがいるのでお気に入りを探してみてくださいね!

子供たちには、人形と思っていた"動く"チキンのおじさんや、ドナルド・ダックが大うけでした。
パネラー4人 (上記3人と、トニー・ランドール(1920~2004)) の奥さま、旦那様がゲストとして登場した回では、いつもと違うパネラーの反応が大変愉快でした。

ゲストの素の顔が観られるとても貴重な映像ばかりです。
こんな豪華なゲストがお茶の間で観られた時代に生まれたかった~!
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by suama | 2011-01-16 15:46 | アメリカンTV

鎌倉にまたひとつ  鎌倉市川喜多映画記念館

木曜日は、未就学園児クラスに通うため大船へ行く日。
夏休み前から通い始めた "懐かしの映画の街" で昨日、「鎌倉市川喜多映画記念館」 のポスターを見つけました。

川喜多…という名は、映画ファンの方ならきっと1度はどこかで見かけたことがあるはず。
私は大好きな 淀川長治さん(1909~98) のお話でよく聞きました。 
その川喜多長政(1903~81) ・かしこ(1908~93) 夫妻の鎌倉市雪ノ下の旧川喜多邸に、昨年の2010年4月1日記念館がオープンしました。
国内外を問わず、映画をこよなく愛し日本に紹介してきた、川喜多ご夫婦と長女和子さん(1940~93) の魂が思い出の地、鎌倉で花を咲かせました。

財団法人川喜多記念映画文化財団」 のホームページでは、貴重な資料も一部紹介しています。
鎌倉在住の映画人の親睦の場であった 「鎌倉会」 でのお写真 (「カレイドスコープ」Vol.4小津安二郎監督) では、鎌倉 と 日本映画 が寄り添っていた事がわかります。
財団の所蔵する膨大な貴重な資料に、いつの日か鎌倉の地で出会えることを願っています。

a0002405_1163270.jpg霜柱が立つ土を "しゃりしゃり" と踏みしめて鎌倉の学校へ通った遠い日の冬の記憶を思い出しながら、「鎌倉市川喜多映画記念館」 へ行きたいと思うのでした。
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by suama | 2011-01-14 00:48 | 文化人

これからの楽しみに♪  Sheet Music

a0002405_104347.jpg好きな曲だけちょこちょこと集めている、Sheet Music 。
見開きのものだったり、長い曲であるとページが何枚も挿んであったり…
そう、Sheet Music とは綴じられていない 楽譜 のこと。
子供の頃、このタイプの楽譜でピアノの発表会の曲を練習したことを覚えています。

"古き良き" 音楽を好きになったきっかけは、デビー・レイノルズの 「Tammy」 でした。
a0002405_1052625.jpgこの曲は日本未公開の 「タミーと独身者 Tammy and the Bachelor」(1957米)  の中でうたわれ、初めてこの曲を聴いたときの感動は今も忘れません。
その 「Tammy」 の Sheet Music を見つけたときの嬉しさといったら!
それからは、映画の曲を中心に見つけては集めています。
中を開くと、シンプルに五線譜と歌詞、すぐに演奏出来そうです!
これらの写真は、私の集めたの楽譜の一部。
味わいのある表紙を見ているだけでも、十分楽しめます。

a0002405_1062675.jpgどれも、半世紀以上前のものであるのに状態も良く、
中には表紙に、名前や日付の書いてあるものもあり、
持ち主が大切にしていたことが伝わってきます。
当時、手軽に Sheet Music が購入でき、レコードやラジオから流れる曲に合わせてうたい、演奏し、沢山の人が楽しんでいたのでしょうね。

今では、ネットから楽譜なども簡単に手に入りますが、
a0002405_1073826.jpg見た目は使い古されていても、中の音楽は今の時代も色あせないこちらの一品が私にはベスト!
これから、少しづつ楽譜をめくり音を奏でてみようかと楽しみにしているところです。
でもひとりのときは大声でうたっているかも…。
今年は、長年思っていた、クラリネットの世界に足を踏み入れたい。
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by suama | 2011-01-12 10:10 | 音楽

憧れのひと  信澤三恵子

a0002405_20423719.jpg子供の頃、病床の母と弟と3人で 「未来少年コナン」(1978年NHK) を毎週楽しみに観ていました。主人公コナンに憧れを抱きつつ、コナンを慕う少女ラナの "声" にもまた特別な思いをずっと持ち続けていました。

1989年、父から 「奥さまは魔女」 の母親役を友達が演るんだよ!! と聞き、確かエンドラ役の 北原文枝さん(1920~80) はもう亡くなっているはず…?
そう、父の勘違い! その夏公開の 「魔女の宅急便」 キキの母親役コキリのことでした。
そして、その声の主が父の友人で、私の長年の憧れでもあったラナ役の 信澤三恵子さん(1947~) だったのです。

子供の頃は、現代の様にネットで調べる術もなく…
後に知り合った 「ド根性ガエル」 ピョン吉役で有名な 千々松幸子さん(1937~)と出会うまで声優という存在は意識しませんでした。
(信澤さん、千々松さん、そしてコナン役の小原乃梨子さん(1935~)は 「母をたずねて三千里」(1976年) のペッピーノ3姉妹役で共演しています。)

そして憧れの信澤さんに会える日が来たのです。a0002405_2062898.jpg 
2008年10月18日、よく晴れた秋の日、父の撮影を手伝うため信澤さんはやってきました。
今回は実年齢より年を召した役どころだったので、
「スタイルはやや老けてみたのよ。」 との事。
お会いすると小柄で可愛らしい、とても優しい方でした。

車に乗り、向島"長命寺の桜餅" を買い、撮影場所の隅田公園へ。
父と弟の家族、私と娘、そして撮影スタッフの大移動。
大きな公園でずいぶん長い時間撮影しましたが、やはりプロの方、
「いつも、撮影は夜中までかかることもあるから大丈夫よ!」 と信澤さん!

a0002405_2023418.jpg撮影後、昼食のため会社近くのレストランへ。ちゃっかり私は信澤さんの隣へ。
「コナン」 の時、宮﨑駿監督は 「子供らしくなくそのままで」 という演技指導だったとか。
ラナ役も、「母を」 のフィオリーナ役もどこか大人びた印象の少女に感じたのはそういう事だったのか…と納得してしまいました。
それから、私の描いた信澤さんのジブリ代表作の色紙にサインをいただき、興奮の素晴らしい一日は過ぎて行くのでありました。

その後、信澤さんは映画 「サマーウォーズ」(2009年) の陣内万理子役で登場。
信澤さんよりずっとお年を召した役どころでしたが、とても品のある役に仕上がっておりました。
娘のお気に入りの映画になりました。

また、近いうちお会いしたいです。
今度は舞台を見に伺いたいと思います。
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by suama | 2011-01-10 20:45 | 俳優・女優

ありがとう!  幕別町図書館の皆さま

昨年12月29日まで北海道の幕別町図書館にて催されていた 「池部良さん追悼特集」 が無事終了し、おととい、お貸ししていたスチール写真が戻ってきました。

ひょんなことから思いつき、こちらから勝手に助っ人を願い出てスチールをお送りした感じでしたのに、快く展示していただけた事、本当に感謝いたしております。
そして、図書館館長の"店長"さんこと 長谷(ながたに)さまから、ご丁寧なお手紙をいただき、貴重なお礼の品までいただきました。
幕別の町が出来て百年の記念に作られた、平成8年(1996)10月1日発行の 「幕別百年新聞」 です。

良さまが復員して丁度1年後に出演した 「愛よ星と共に」(1947年東宝)、舞台がこの幕別にある、新田牧場でした。
そのロケでの長い日々の思い出を中心に、 「幕別に寄せて 池部良」 というメッセージが載っています。
その下には、木の前で撮られた写真と同じ場所の50年後の姿と共に 「半世紀、百年」 として、この映画そして、先ごろ他界された共演の高峰秀子さんと良さまへ宛てての思いも綴られています。
a0002405_13443013.jpg
優優と大きな枝を伸ばし大地に生き続けるこの木の様は、時の流れの速さと、今は亡き俳優達のことを思わせ、ますます涙もろくなってきた私をほろっとさせるのでした。

幕別町図書館の皆さま、今回良さまの素敵な2枚の秘蔵写真もありがとうございました。
何よりの贈り物です、大切にいたします。
空を仰いで微笑んでいる良さまのあの笑顔、忘れません。

☆写真前列右から5人目が良さま、さらに右へ3人行くと高峰さん、足を組まれている姿が映っています。 (昭和22年ロケ隊一行)
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by suama | 2011-01-10 12:55 | お世話になりました

日本ハープ界 の父  ヨセフ・モルナール

a0002405_1682297.jpg今日は父の75回目の誕生日。
私が子供の頃、良く晴れた気持ちの良い日曜日、父がハープ演奏のレコードを聴いていた。
そのハープを奏でる人、ヨセフ・モルナール(Josef Molnar)。

小さい頃からよく耳にしていたモルナール氏の名前。
父はひところ、私を彼の元で音楽勉強をさせようとハードルの高すぎる事を考えていたとか。
モルナール氏と父との出会いは半世紀も前のこと。
知人の紹介で銀座で初めて出会う。モルナール氏25~6歳、父20歳の頃。
NHK交響楽団の招きで1952年に来日。
1929年、オーストリアのウィーン生まれ。
…ということは来日してまだ年月も浅かったからでしょうか、ふたりは意気投合。
時々モルナール氏のもとに来る、阪急の米田投手(1938~) と3人で相撲をとったり、モルナール氏愛用のハドソン車に乗り、歌の練習を天上が震えるほどしたことも、青春の思い出の1ページとなっているようです。

音符は読めない…と思っていた父が、当時モルナール氏の演奏会で、譜面めくりを何度か手伝ったという話を聞いた時は、モルナール氏が"目で合図☆"し、ぎこちない姿の父が譜面をめくる姿が 凸凹コンビ の様で想像がつきませんでした。
その後、父の就職先が貿易会社に決まり、入社までにタイプライターをこなさなくてはならなかった時には、当時珍しかったドイツ製の携帯タイプライターをモルナール氏が貸してくださり、これで猛練習したという事もあったそうです。

a0002405_1691720.jpg私の手元にはアサヒビール初代社長でもあり、日本ハープ協会創設者 山本為三郎氏(1893~1966) の"協会1周年記念の挨拶"が載っている、"モルナール氏独奏会パンフレット" があります。
~1961年7月6日(木)6時半、第一生命ホールにて、主催・日本ハープ協会~
そして、三村勉先生直筆の 協会の会報第1号の綴り も一緒に挟んであり、当時のハープに対する日本人の愛情が伝わる貴重な品でもあります。

モルナール氏と父との武勇伝!?、ハプニングの思い出は数知れず…、
でも10年程前に再会して以来、連絡がなかなか取れないと残念がっています。
今までに心の素直な人に2人出会ったと父は言います。
ひとりは亡くなった私の母、そしてモルナール氏です。
今も彼の奏でるハープのレコードを大切にしている父。

本当に美しいハープの音色…。
今もモルナール氏のCDを聴くたび、子供時代のゆったりとした日曜を思い出すのでした。
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by suama | 2011-01-08 02:36 | 音楽

コンバンハ 皆さま…  "The Alfred Hitchcock Hour"

a0002405_9464152.jpgシャルル・グノー (1818~93) 作、
「操り人形の葬送行進曲」 が流れ、
"Good evening” と太っちょおじ様がご挨拶。
ご存知アルフレッド・ヒッチコックのTVシリーズであります。
現在AXNミステリーチャンネルで放送中の 「ヒッチコック劇場」。
前作の "Alfred Hitchcock Presents "(1955~62) の30分作品がパワーアップして1時間枠となり1962~65年まで3シーズン作られました。
今回の放送は第1,2シーズンの計64作品が観られます。

そういえば、2004年のブログで 「ヒッチコック劇場」 の作品名がわからない~と嘆いていたのですが、間もなくタイトル判明!
第2シーズンの第44話 「殺しの順番」、テレサ・ライト、ダン・デューリエ共演作でした。
約20年ぶりにこのシリーズを通して観ていると、記憶に残っていた作品も多く、
特に、第35話 「探索」、第38話 「落とし穴」、第43話 「ワイフ必殺法」、第46話 「死の海を越えて」等は当時も印象深く観ていたのでしょうか…再会できた喜びは本当に大きかったです。

a0002405_23461630.jpgこの第1,2シーズンの、ヒッチの監督作品は、第4話 「ひき逃げを見た!」 のみ。
でも、彼の右腕で監督兼プロデューサーのノーマン・ロイド氏(1914~) が多くを制作しています。そういえば、おととしの暮れ彼からサインが届き、筆跡を見てまだまだお元気なのだなあと嬉しく思ったものでした。ロイド氏現在96歳!

番組の前・後半のCMの時にヒッチが登場し、スポンサーの話題を取り上げ面白おかしく語っているのもいかにも時代を感じ愉快です。
映画からTVへと俳優達の活躍の場が広がり、
映画界のベテラン組と若手組が肩を並べ、やがて大スターへと成長して行くピーター・フォークやロバート・レッドフォードなどの顔が観られるのも楽しみのひとつですね!
もちろん、脚本家の方々も錚々たるメンバーです。

是非この機会に劇場作品では味わえない、七色のサスペンスを堪能してくださいね!
私は、ゲゲゲ…の熊倉一雄氏の吹替えが耳に心地よいです♪
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by suama | 2011-01-07 22:26 | アルフレッド・ヒッチコック

街並みも変わりました  「東京映画散策」

先日、日本映画専門チャンネルさんで放送していたお正月特番 「東京映画散策」。
私好みの内容で、銀ブラがより楽しくなりそうな30分でした。他に 「大阪」 バージョンもあり!

東京版のゲストに、三遊亭好楽師匠 が出演されるという事で、子供達も大喜び!
銀座8丁目~散策がスタートし、ゴール浅草界隈まで足を延ばす。
この道中の、古き良き日本映画の舞台となった場所を、現在の姿と比べながら紹介して行く。
中でも、池部良さま主演作品 「都会の横顔」(1953) の舞台銀座を、進行役の泉麻人氏と好楽師匠のおしゃべりで楽しく紹介してくれるところが非常に嬉しかったです! 
泉氏は良さま演じる サンドウィッチマン役 と同じブレザー姿の "池部スタイル" で登場。
良さまの映画のシーンが映し出されるたび、私はどんな作品なのだろう…と言う思いでいっぱいに…。

思い起せば…私の "初" 銀座はいつだったのだろう?
銀座4丁目からすぐの "歌舞伎座" が最初? あれは確か15か16の頃…。
あるいは、父がよく駐車場を利用する銀座からちょっと離れた "帝国ホテル" …?
(そういえば、21歳の初めてのお見合いも、このホテルでした。)
18歳から結婚前まで、"和光" の裏にあった "銀座文化" という思い出の映画館で、洋画のリバイバルを観によく足を運んだものでした。
この頃の銀座大好きでしたね!今ほどブランドショップが目立たず、何とも落ち着いた街並みでほっとすると言うか…。
結婚準備で訪れた時は、数寄屋橋の辺りで彼とちょっと喧嘩した思い出も…あ~懐かしい。
最近はその街並みともご無沙汰です。

良さまが 「銀座百点」 に連載していた "銀座八丁おもいで草紙"。
亡くなる直前まで筆をはしらせていたそのエッセイを振り返り、私流の 「東京(銀座)映画散策」 に出掛けたくなった番組でした。a0002405_951291.jpg

   私の思い出の銀座の風景が…とても懐かしい。
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by suama | 2011-01-06 22:12 | ノスタルジック