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カテゴリ:ノスタルジック( 17 )

子供時代の “世界” の番組の思い出 2

子供時代の “世界” の番組の思い出、もうひとつは
「兼高かおる 世界の旅」 KAORU KANETAKA'S "THE WORLD AROUND US" です。

a0002405_225029.jpg1959年から31年間続いた紀行番組で、
タイトルの 兼高かおる(1928~)さん が遠い海の向こうに出向き、
各国を取材、フィルムを自身が編集し30分の番組として放送されました。 (写真は1961年の素敵な兼高さん!)

フィルムを観ながら旅のお供をする聞き手役に 芥川隆行(1919~90)氏。 2人の洒落たおしゃべりが実に魅力的!
兼高さんの 「そうですのよ、ほほほ・・・」 となんと上品で優雅な話し方・・・
そんな憧れにも似た印象を持ちつつ、少女時代楽しく拝見していました。

現在83歳の兼高さん。
昨年12月にNHKのトーク番組に出演されたときには、
「わたくし、現在20歳と34ヶ月ですのよ!ほほほ。」 と閏日生まれの自分を洒落て紹介されていました。
a0002405_22522317.jpgそして、昨年 「わたくしが旅から学んだこと」 という著書が出版され私も楽しく拝読いたしました。
世界を行ったり来たり、決して真似の出来ない人生なのでしょうが、
私たちに訴えかけてくる 兼高流 の文章から “人生” の素晴らしさをずっしりと感じました。
人それぞれの受け止め方はありますが、ひとつのことを貫いてきた人生、そして、パイオニア の語る言葉にはこころ打たれるなぁ・・・と思いましたね。

大好きだったこの番組のオープニング。
現在TBSチャンネルで放送しているバージョンは白黒時代の放送なので、私の生まれる前のもの。
ということで今回、youtubeさんを探して、ピンッと来る思い出のオープニングを見つけました。
番組の前に放送していたCMまで入っていて、子供の頃観ていた 日曜9時の朝の風景 が蘇ります。
いまは倒産してしまった PAN AM(Pan American Airways) の優雅な飛行も観られます。

日本中にこの番組を懐かしく、大切な思い出の1ページにされている方も多くいらっしゃることでしょう。
私の家族皆が揃っていた頃の、今は遠い昔となってしまった素晴らしい日々を思い出しながら、これからもいつまでも大切な番組となってくれると思います。

最後に・・・
未曾有の大災害を経験した日本が、沢山の国からの救援を受けています。
強く強く、世界というものを ”尊く、近い存在” に感じた経験であったのではないでしょうか。
岩手県山田町の友人も、世界がこんなに小さな日本を思っている・・・と知ったときの驚き。
情報が入らない被災地では雲を掴むような、世界からの知らせだったのではないかと思います。

遠い遠い海の向こうにあると思った世界が、いまひとつとなり助け合い、立ち上がろうとしています。
月並みですが、 本当に人って素晴らしい! と感じる毎日です。

今回の、「子供時代の “世界” の番組の思い出 」 というタイトル。
取り上げた2作品の番組も、今では手軽に観ることが出来、そして、私たちはTVで観ている世界へ羽ばたいていくことも出来るのです。
時代は変わっていくのだなぁと同時に、夢でなく、誰にでも世界をこの目で見る事が出来る そんな時代がきた事を強く感じるのでありました。
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by suama | 2011-04-04 00:08 | ノスタルジック

子供時代の "世界" の番組の思い出 1

私の子供時代には、海外からのアニメやドラマ番組、日本で制作された海外を紹介する番組が多かったように思います。 子供ながらに、遠い海の向こうの世界に思いを馳せながら、海外の文化にそれは魅了されたものでした。

今回は、私の子供時代に観た印象深い 2作品 を紹介します!
どちらもタイトルに "世界" が付きます。 時代を感じますね!

a0002405_1720241.jpg2004年9月のブログに、ケチっちゃだめって… 「世界の料理ショー」というタイトルで、一度この話題は書いているので重複内容もありますが・・・。
2年前に遂に日本でも、現存する日本語版52話すべてを収録したDVD-BOXが発売されました。 とてもとても懐かしく、映像を観るのは10年ぶりでしたね。

「世界の料理ショー」 THE GALLOPING GOURMET
ホスト兼料理人に スコットランド人の Graham Kerr(1934~)氏。
1968~71年迄カナダで制作され、71年の自動車事故により、
Kerr 氏の一時的な全身麻痺を起こした直後に番組が打ち切りになったそうです。
彼は事故の影響でクリスチャンとなり、妻の心臓発作を機に新しい健康的な料理スタイルへを考案し、
「新・世界の料理ショー」 へと変化していくわけなのですが。

そもそも、この 「世界の料理ショー」 が制作されることになったきっかけは・・・
このDVD-BOXで、Kerr 氏本人が語っています。

「世界一退屈な男ね!」 と言う Treena 夫人 の言葉に
「じゃあ、自分で番組を制作してみろよ!」  の kerr 氏の反撃・・・から始まったこの番組。
28回の海外旅行の経験と、異文化料理への憧れと興味から、二人三脚で制作されました。
プロデューサーの Treena 夫人の本番中のドッキリ仕掛けになえながらも、
kerr 氏は、専門的な料理番組とは一線を画し、
"皆で食卓を囲める料理" を目標に、"娯楽性を持たせ" ながら、
"退屈男の改造" へなって行くのでした。

でも、この番組と言えば "高カロリー食" いう言葉が出てきてしまうほど、
それはそれは、ビックリするような てんこ盛りの調味料のこってり料理 でしたよね。
Kerr 氏は、「当時ボクも若くて、死は身近ではなかった・・・」 とのこと。
「料理をするボクを見ている観客が、
鍋に材料を入れれば、歓声! 調味料を入れても、歓声!」
というわけで、結局高カロリーとなってしまったそう。

でも、その後の Treena 夫人の心臓発作と自分の料理を悔やみ、料理の改革へと乗り出すのですから、TV画面から観える、愉快なKerr 氏は 真の料理人だったのだなあと改めて思いました。

a0002405_17242351.jpg現在は、世界でもっとも大勢のシェフを輩出した "ジョンソン&ウェルス大学" で教鞭をとり、調理栄養学で名誉博士号を授与される という人生を歩んでいらっしゃいます。 

料理は "優美さ" と "安らぎ" とおっしゃる Kerr氏。
その原点ともなるこの番組を、子供時代と違った思いで、
ゆっくりとひとつひとつ観たいなと思うのでした。

「あっ、スティーブもお忘れなく!!」 
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by suama | 2011-04-03 17:36 | ノスタルジック

車音痴の私でも  「STARS AND CARS OF THE '50s」

a0002405_20392052.jpg20数年前免許は取得したものの、鎌倉の休日は車での外出は難しく…いつのまにかペーパードライバーになってしまった私。
それに、車にはあまり興味がない…。
でも、50年代には私を魅了する沢山の車たちをスクリーンで観る事が出来ます。
美しい曲線と輝きに満ちた車の数々が一冊になった本、
「STARS AND CARS OF THE '50s」。
とてもとても重くて大きな写真集…。
表紙は写真のグレース・ケリー(1929~82)、1955年カンヌにて。
車は現在はなくなってしまったアメリカ、スチュードベイカー社の 
"1955 Studebaker Commander" 。

a0002405_20405520.jpgこの写真集のカメラマン、Edward Quinn(1920~97)、名前は知らなくても彼の作品はきっとどこかで目にしていると思います。
そんな彼のセレブリティーと愛車を撮り続けた200数十ページにもおよぶ作品集です。

お気に入りの相棒とポーズをとるひともいれば、プライベートな空間で素顔を覗かせる飾らない姿も。50年代前後のこの頃の車たちはゴージャスで華やかさを持った芸術品の様に私には映ります。
乗り心地…なんてわかりませんが、この頃に存在した車たちを身近に感じていた人たちを羨ましくも憎らしくも感じてしまいます。
現代では女性の様な曲線を持ったフォルムの車を見かけませんね。
車事情など何もわからない私ですが、ただただ残念に感じるばかり…。
一度でいいから、こんなボディに触れてみたいものです。

a0002405_2047366.jpg1957年カンヌでのビル・ホールデン(1918~81) と愛車、"1938 Bugatti type 57C" 。
彼の後ろにも左から、Studebaker、2台のCadillac… 美術館の展示品の様に並んでいる車たちが印象的。
ホイール周りの白の美しさ、タイヤひとつでも十分魅了されてしまいます。

このモノクロ写真の世界に色をつけてみるとしたら、どんな車になるのかしら?
写真の中のセレブリティーの "自慢げな" 声が聞こえてきそうです。
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by suama | 2011-02-15 20:55 | ノスタルジック

ちは~  御用聞き

鎌倉で暮らしていた頃の思い出の中で、特に忘れられないのは、"御用聞き" の存在。

池部良、久慈あさみ(1922~96) 主演の 「恋人」(1951 新東宝) の冒頭で、伊藤雄之助(1919~80) が洗濯屋(今のクリーニング屋) として勝手口に登場するシーンや、
アニメ「サザエさん」の "三河屋の さぶちゃん こと三郎さん" などを観ていると、
思い出の "御用聞き" の姿が蘇ります。
(初代配達青年だった "三平さん" は1985(昭和60)年3月31日の放送で、結婚のため実家のある故郷山形へ帰って行きましたね。)

我が家では、お米屋と "三河屋" ではなく "きのくにや"さん を利用していました。
もうひとつ、"御用聞き" ではないけれど、雪のマークの牛乳屋さんも毎日1ℓのパックを2本配達してくれました。

私の住む敷地には、母方の両親と兄弟家族2軒、そして我が家の全4軒、多い時で15人が一緒に暮らしていましたから、"御用聞き" 利用度は頻繁!
我が家では、お米や、お正月用ののし餅、醤油などの調味料を主に注文していましたが、来客も多く、総勢7~8人いる私たち孫が毎日出入りしている祖父母の家では、その為のジュースやビールなどの準備も "御用聞き" を頼りにしていました。

a0002405_1048327.jpg"お米屋さんと言ったら!" ケースで注文する "三ツ矢サイダー" と 武田の"プラッシーPLUSSY" (ビタミンC がプラスされているのでこの名前になった事を今回初めて知りました) 。
重いビン入りのジュースで、シュポッと栓を抜いて、冷えたところをゴクゴク とみんな祖父母宅の冷蔵庫から出しては飲んでいました。
私は炭酸が苦手だったので、もっぱら "プラッシー" 党!! 
わずかに果肉が入っていて…今では100%ジュースしか飲まない私も、当時のオレンジ味の "プラッシー" だけは、子供時代の夏の思い出として、いつまでも懐かしく心に残っています。

サザエさんのお宅には勝手口がありますが、我が家はダイレクトに正面玄関をガラリッ…
しかも、今のような頑丈な扉ではなく、まさにガラガラ、「こんちは~」 のガラスの引き戸の時代でした。突然、玄関が開くのですから、ビックリすることもたびたび。
当時はこれが普通の光景だったのでしょう。今では有り得ないかもしれません。

いつも利用していたお米屋さんも、時代と共に需要が減り、10数年前から米屋+クリーニング窓口をするようになっていました。変わり行く街のそんな姿を見たとき、ちょっと淋しさを覚えたものでした。

今も、"御用聞き" をしている街はあるのかしら?
"プラッシー" の味と共に、"御用聞き" が街と人々を繋いでいた懐かしい風景をいつまでも忘れません。
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by suama | 2011-01-19 11:02 | ノスタルジック

街並みも変わりました  「東京映画散策」

先日、日本映画専門チャンネルさんで放送していたお正月特番 「東京映画散策」。
私好みの内容で、銀ブラがより楽しくなりそうな30分でした。他に 「大阪」 バージョンもあり!

東京版のゲストに、三遊亭好楽師匠 が出演されるという事で、子供達も大喜び!
銀座8丁目~散策がスタートし、ゴール浅草界隈まで足を延ばす。
この道中の、古き良き日本映画の舞台となった場所を、現在の姿と比べながら紹介して行く。
中でも、池部良さま主演作品 「都会の横顔」(1953) の舞台銀座を、進行役の泉麻人氏と好楽師匠のおしゃべりで楽しく紹介してくれるところが非常に嬉しかったです! 
泉氏は良さま演じる サンドウィッチマン役 と同じブレザー姿の "池部スタイル" で登場。
良さまの映画のシーンが映し出されるたび、私はどんな作品なのだろう…と言う思いでいっぱいに…。

思い起せば…私の "初" 銀座はいつだったのだろう?
銀座4丁目からすぐの "歌舞伎座" が最初? あれは確か15か16の頃…。
あるいは、父がよく駐車場を利用する銀座からちょっと離れた "帝国ホテル" …?
(そういえば、21歳の初めてのお見合いも、このホテルでした。)
18歳から結婚前まで、"和光" の裏にあった "銀座文化" という思い出の映画館で、洋画のリバイバルを観によく足を運んだものでした。
この頃の銀座大好きでしたね!今ほどブランドショップが目立たず、何とも落ち着いた街並みでほっとすると言うか…。
結婚準備で訪れた時は、数寄屋橋の辺りで彼とちょっと喧嘩した思い出も…あ~懐かしい。
最近はその街並みともご無沙汰です。

良さまが 「銀座百点」 に連載していた "銀座八丁おもいで草紙"。
亡くなる直前まで筆をはしらせていたそのエッセイを振り返り、私流の 「東京(銀座)映画散策」 に出掛けたくなった番組でした。a0002405_951291.jpg

   私の思い出の銀座の風景が…とても懐かしい。
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by suama | 2011-01-06 22:12 | ノスタルジック

寅さんの思い出話に花が咲く!

a0002405_226226.jpg 先日土曜日待ちに待った「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」(第11作目1973)の放送がありました!十瑠さん、しかと貴方様のお姿・・・後姿を拝見いたしましたよ!

 いきなり「何だろう?」と思われている方もいらっしゃるかもしれませんね!ブログに遊びに来てくださる十瑠さんは東京にお住まいだった学生時代の頃、この作品のエキストラを経験されたそうです。こんなに”素晴らしく、羨ましい”お時間を過ごされた十瑠さんの素敵な思い出、是非こちらも読んでみて下さいね!もうこの日の我が家は遊びに来ていた旦那様の弟くんカップルも交えての映画鑑賞&十瑠さん探し(ヒッチの様!)に燃えたのでした!
 
 私が寅さんを好きになったのは社会人になってからという事もあり、つい最近まで古き良き映画好きな私が、「男はつらいよ」をこよなく愛している事を知らないという学生時代の友人もいたのです。そして、学生時代からの映画友のCちゃんがつい最近これまた私の心を躍らせるお話を聞かせてくれたのです。

 彼女はもうすっかり昔のことで忘れかけていたそうですが、幼き日にお父様に連れられて大船撮影所での「男は」のスタジオを訪れたとの事。渥美さんとお写真も撮り、ひと時を過ごし・・・!!ここまで聞いただけで私は大興奮で!撮影所ではさくらさんこと倍賞千恵子さんがとても気さくで優しい方だったとも話してくれました。そして十瑠さんもおっしゃっていましたが、渥美さんの素顔はとても物静かな方で”寅さん”とのギャップがかなりあったとCちゃんも感じた様でした。そんな映画の”寅さん”や素顔の渥美さん、十瑠さんやCちゃんのお話を聞いていると何だか可愛くて・・・本当に一度お会いしたかったな~と映画を観る度、思ってしまうのでした。

 大船撮影所、鎌倉シネマ・ワールド・・・一度訪れてみたいけれど地元だからと安心しているうちに、今は手の届かないところへ行ってしまいました。こんな事ばかりの私でしたが、現在はもうすぐ4歳になる娘のプレ幼稚園で、大船撮影所跡地に出来た学校に通っています。駐車場から正門に向かう時、校内の壁にモザイク画で描かれた”寅さん”に会う事が出来ます!(お隣には「悲しき口笛」での美空ひばりさんが描かれています)初めてキャンパス内で”寅さん”に出会った驚きと言ったら!!古き良き日本映画が沢山生まれたこの地に来ることが出来る喜びを心から感じたのでありました。・・・娘には「寅さんにバイバイして!」と手を振らせるちゃっかりものの母でしたが!

 十瑠さん、Cちゃん、”寅さん”との素敵な思い出のお話、嬉しかったです!あ~、幸せ☆
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by suama | 2005-09-20 22:19 | ノスタルジック

心躍る米映画音楽の饗宴にワクワク♪

a0002405_17264133.jpg 先日、私にとって”素敵な贈り物”の番組がBSで放送されました。アメリカ映画協会(AFI)が選出した「映画音楽ベスト100」、2時間の番組(司会はなんとジョン・トラボルタ氏)の中には心ときめかせる音楽の数々が映像と共にちりばめられ、とても素敵なBirthday前夜祭となったのでした。

 このAFI選出の「ベスト100」という番組は過去にもいくつか製作されていますが、今回の「映画音楽ベスト100」は格別な想いで観ていました。星の数ほどある映画音楽、ハリウッドの歴史がそこにある・・・そんな時の流れを感じる番組でした。ここにそのベスト100の中の上位10曲を挙げてみましょうね。

 1 「虹の彼方に」         ・・・「オズの魔法使い」 (39) a0002405_19591023.jpg       
 2 「時の過ぎ行くままに」    ・・・「カサブランカ」 (42)
 3 「雨に唄えば」         ・・・「雨に唄えば」 (52)
 4 「ムーンリバー」        ・・・「ティファニーで朝食を」 (61)
 5 「ホワイト・クリスマス」    ・・・「スイングホテル」 (42)
 6 「ミセス・ロビンソン」      ・・・「卒業」 (67)
 7 「星に願いを」         ・・・「ピノキオ」 (40)
 8 「追憶のテーマ」        ・・・「追憶」 (73)
 9 「ステイン・アライブ」     ・・・「サタデー・ナイト・フィーバー」 (77)
10 「サウンド・オブ・ミュージック」 ・・・「サウンド・オブ・ミュージック」 (65)

 こうやってみると、古き良き映画作品もなかなかやるな~といった感じがしますね。大好きなビング・クロスビーのギネス記録を持つ”ホワイト・クリスマス”もこの作品(写真右上)から生まれたのですもの、いつまでも愛されているって嬉しいわ。 

 ベスト100曲をみると日本人には馴染みのない作品もあり、なんとダンスの神様フレッド・アステア(1899~1987)の歌声も何曲かありましたね。「ザッツ・エンターテイメント」(74)シリーズなどに登場した作品も100曲の中にありましたが、その様な作品が日本で紹介される機会が少ないことを改めて残念に思いました。シャーリー・テンプルちゃんや、レナ・ホーン(1917~)の歌声などは映像と共にいつまでも残ってほしいな・・・と感じましたね。(”古き良き”作品もっとTV放送してほしいわ~!DVDにはないんだもの・・・。)
 
a0002405_2003595.jpg 沢山の映画音楽をみていると、特にバーブラ・ストライザンド(1942~)、ジュディ・ガーランド(1922~69)、その娘のライザ・ミネリ(1946~)の登場回数が多いことに気づきます。日本でも良く知られているこの3人、こんなにもハリウッドの映画の歴史を支え、そして愛されているのだということも改めて知るそんなひと時になりました。

 もし私がベスト100曲を選ぶとしたら・・・?まだまだ未見の作品も多く、100曲選ぶ事もままならないでしょうね。でもまだ観ぬ作品に興味をそそられる自分にちょっぴり喜びを感じずにはいられませんでした。映画音楽は自分の人生を映し出してくれる素晴らしい存在であることを、この番組を観て改めて感じた方も多かったのではないでしょうか?
 
 いつまでも映画とその作品を彩る音楽を愛して行きたいと思うsuamaなのでした♪ 
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by suama | 2005-06-23 20:20 | ノスタルジック

笑顔がこぼれるね! ノーマン・ロックウェル

a0002405_2133154.jpg Norman Rockwell
彼の作品を初めて目にしたのは今から20年以上も前、鎌倉駅裏口を出てすぐのところにあった今はなき雑貨屋、ミニ額に飾られていた彼の絵と出会った時の感動を今もはっきりと覚えています。

 1894年NYマンハッタンで生まれたロックウェル(~78)は体を動かすことが苦手であったため、小さい頃から絵で生きていこうと決意、17歳の美術学校時代にイラストレーションの仕事を始め、19歳で少年誌のアートディレクターをしていたのですから立派なものですよね。そして、22歳の頃あの「Saturday Evening Post」誌に採用され、1963年「Post」が休刊になり「ルック」誌に移ってからも、ロックウェルの世界を雑誌の表紙に描き続けました。「Post」の表紙を描くイラストレーターは当時60名もいましたが、ロックウェルの表紙の号はとても人気があり、彼の作品の象徴する希望と喜びが人々の心を摑んでいたのでしょうね。そういえば、「あらいぐまラスカル」の主人公スターリングは、自分の小遣いを稼ぐ為「Post」誌を売り歩くバイトをしていましたね。彼が町の人々に届けた雑誌にはきっとロックウェルの絵が表紙を飾っていたこともあったのでしょう・・・。何だか物語りにより愛着がわいてきます。

a0002405_2121481.jpg 何気なく見ていた彼の作品に、みな実在のモデルがいたというのを知ったのは出会いから10年ほど後のこと。大好きな喫茶店で見た彼の作品集にモデル達の写真と名前が載っていたのです。そして、一枚の作品が仕上がる迄には、アイディアを出し、スケッチ、モデルや小道具を決め、ポーズを作り写真に収め、様々なパターンの絵を描き・・・やっと表紙に登場する芸術とも言える作品に仕上がるのというのですから、この作風には驚きです!

 レンブラントの抜け出てきそうな見事な写実に今でも感動し、ロックウェルから”ワクワク”や”温かさ”をいっぱいもらっている私。どちらも、本当に素晴らしい緻密な作品で、私は少しでも彼らの様に描いてみたいと10代の頃から沢山の人物画を趣味で描いていましたが、ロックウェルの作品の仕上がりまでの過程を知ったときは、絵を描くことが好きなものとしてはただただ納得してしまうばかりでしたね。(私も写真から絵を起こす手法が主だったので)
 
 いつの時代にもどこの国にも受け入れられるロックウェルの作品。仕上がるまでには途方もない過程があっても、彼の作品を見た誰もがきっと微笑んでしまう・・・☆「ルック」に移ってからは「post」誌とはまた違ったテーマで作品が作られた様ですが、描いて行くほどに彼の作品の人々は輝きを増し、時代を経てこれからも喜びを与えてくれるのでしょうね! 
a0002405_2124119.jpg
 ロックウェルの表紙を飾った雑誌を手にしていた人々が本当に羨ましい・・・。私もあの時代の彼に会いに行きたいわ!
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by suama | 2005-05-12 02:29 | ノスタルジック

追悼 グレースと共に眠る小さなお国の主様

a0002405_18182565.jpg 先日4月2日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84)が亡くなり、その4日後ヴァチカン市国に次ぐ世界で2番目に小さな独立国モナコ公国のレーニエ3世公(1923~2005)も天国に旅立たれました。1949年からの長い長い在位でした。

 私が度々ブログでも取り上げているグレース・ケリーとは‘世紀の恋‘で1956年に夫婦となり、長女カロリーヌ(48)、長男アルベール(47)、次女ステファニー(40)の三人のお子さんを授かりました。王女二人は素行に問題があった頃もありましたが、グレースの交通事故死(1982)以来、きょうだい三人は残されたレーニエ大公と共にモナコ公国を支え、今やっと大公も安心してグレースの元へ旅立って行けたのではと思いますね。

 モナコ公国(フランス東部地中海沿岸に位置する皇居の二倍程の小さな独立国)・・・グレースが嫁いだ頃(昭和31年)は、日本でこの国の名前を聞くと「もなか?」と聞き違えた人がいたとかいないとか・・・。私が古き良き映画が好きになりグレースに夢中になっていた頃は、旅行パンフレットの地図にもまだモナコの名前などなく、ちょうどF1が物凄い人気となった90年代初めにやっとモナコの名前も聞かれる様になりましたね。そして今や、日本人も多く住む小国。

 カジノからバレエ、F1と様々な観光目的でこの小国を訪れる方はいますが、グレースが嫁ぐ前のモナコは国の財政は悪化、仏への吸収合併も危ぶまれるほど窮地に立たされていましたね。しかし米の大女優との結婚で国は持ちなおし、その後の人気は増すばかりという国になりました。

a0002405_1816391.jpg 今もF1サーキットの中で最も愛され続けるモナコの市街地。今年のGP(5月22日開催予定)での表彰台にもうレーニエ大公のお姿は見られないのですね。グレースとの出会いがなければ私が大公様の愛したモナコにこれほどまでに憧れを抱く事はなかったことでしょう。これからはモナコ大聖堂地下墓地でグレースと二人仲睦まじくいつまでも寄り添っていてほしいですね。

 いつか私もモナコを訪れる事が出来たら、大聖堂に足を運びたいですね。そして、グレースの愛したバラの香りを感じながら・・・。
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by suama | 2005-04-20 18:27 | ノスタルジック

フレディとニジンスキーの映像美の饗宴

a0002405_1213044.jpg  淀川長治さんは生前、こう言っていました。「美しいもの、綺麗なものを沢山見てください」と。そんな淀川さんの言葉の様に美しい人、それはフレディ・マーキュリー(1946.9.5~1991.11.24)なのではないかと思っています。

 QUEENのファンになった中学生の頃、フレディよりもブライアン・メイに夢中だったの。でもその後だんだんとフレディの世界へと引き込まれてしまって…。小さい頃から、バレエの様に躍動する肉体の美しさにすごく興味を持ち、人物画を描く事が私は何よりも好きになったの。だから、パブロバ・バレエ・スクールに通った小学生の頃、人間の体のしなやかさをまじかで見たときには本当にため息が出たわ。

 社会人となった頃、映画友になったI先輩からいつも、「フレディはまるでニジンスキーの様ね」と言われ、最初は何の事だかわからなくて…。それがあの有名なバレエダンサーのワスラフ・ニジンスキー(1890~1950)だとわかった時、フレディの美への追求が少しづつ見え始めてきたの。

 QUEENと出会った頃から、肌の露出度の多いフレディとロジャー、ブライアン、ジョンの3人のファッションスタイルのバランスがある意味独特で、カッコよくもあり、結構私は気に入っていたの。だから、そんなスタイルを見慣れていたので、何故フレディが”モーモータイツ”スタイル(初期の頃かしら、その後は上半身裸になって!)を好んでいたのかなんて考えた事もなかったわ。でも、この”モーモー”スタイルからニジンスキーに繋がるなんて…。

a0002405_1222385.jpg QUEENの「I Want To Break Free」のプロモーションVIDEO には、女装したメンバーと、”モーモー”フレディが登場しますね。フレディは女装の時にはそのままのおヒゲスタイルで登場するのに、ニジンスキーのバレエ「牧神の午後」を彷彿させるシーンでは、さっぱりとおヒゲを剃って気合がこもって!?いました。彼らの音楽は、ロック、クラッシック、ジャズ、オペラ…様々な要素があり、これはフレディの美学にも繋がるような気がします。そして、何よりもバレエ、そしてニジンスキーを愛していたのではなかったのかなと感じましたね。(ニジンスキーもゲイだったと聞いています。何か共感するものが多かったのでは…官能的なフレディがとても素晴らしかったので)
 
 昨日が彼の58歳の誕生日だったと思うと、もっとあの歌声を聴いていたかったと淋しさを感じます。でも、私の中ではいつまでも、やんちゃ坊主な、美しい彼の姿は永遠です。いつまでも美しい彼とともにQUEENを生涯愛し、そして私も沢山美しいものを見ることの出来る心を育てて行きたいですね。

VITAMIN BOX  、nice box Ⅱ 感動しました!
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by suama | 2004-09-06 01:24 | ノスタルジック